張春華〜晋王朝を産んだ母〜
張春華(189〜247)は河内郡の平睾県(へいこうけん)の生まれで、父親の張汪は魏の粟邑の県令を務め、 母親の山氏はあの竹林七賢・山濤の大伯母にあたる人。 張春華は人並み優れた知恵や見識を持ち、行いも正しかったそうですから、良妻賢母の素質があったと言えるでしょう。 彼女が司馬懿の妻となった時期は不明ですが、 201年に司馬懿が仮病で曹操の招きを断った際に司馬懿のミスで下女に仮病がバレてしまった時には、 後々の禍根を潰すために下女を殺していますから、それ以前でしょう。 ちなみにこの時、張春華は13歳。司馬懿は23歳。 現代でこんな夫婦が居たら、司馬懿、後ろに手が回ってしまいますww 長男の司馬師が産まれたのは208年、旦那の司馬懿が曹操に仕えた年ですね。 時に張春華は20歳、司馬懿は30歳。 3年後には次男の司馬昭も生まれ、なかなかに幸せな生活を送っていたようです。 しかし。 ある時司馬懿は病に倒れました。 当時、司馬懿には張春華のほかに側室に伏夫人、張夫人、柏夫人がいます。 司馬懿はなかでも柏夫人がお気に入りの様で、張春華は滅多に司馬懿に会えなかったそうです。 それでも張春華、夫が病に倒れたと聞き、見舞いに訪れます。 ところが司馬懿、せっかく見舞いに来た張春華に対し、 「クソババアがなにのこのこと出てきてんだよ」(ちなみに原文は『老物憎む可し。何ぞ煩しく出づるや』) 張春華、ブチギレました。 ブチギレた張春華は断食をして自殺しようとし、子供達もこれに同調。 流石にこれには司馬懿も驚いて張春華に謝ったそうですが、部屋を出た途端、 「ババアは知ったこっちゃ無いが、可愛い息子たちまで苦しむのはまずいと思っただけだし」(原文は『老物惜むるに足らず。我が好兒を因しむるを慮るのみ』)と周りに話したそうな。 司馬懿、果たして反省していないのかそれとも照れているのか……ま、まさか司馬懿はツンデレか!?(おい) まぁ結局ちゃんと和解したかどうかは分かりませんが、247年に張春華は59歳で世を去ります。 その4年後には司馬懿もまた世を去り、二人とも洛陽の高原陵に葬られました。 司馬懿は生前、遺言として自分の死後に死んだ一族を自分の墓に入れるなと言っていますから、死後も司馬懿と2人、あの世で仲良くやっていたのでしょう。 |